田内屋について
昭和の香りを伝える
松本市清水銀座通り
家の歴史と
町の歴史を
伝える
田内屋は100年位前、今の店主の祖父母があんこ屋さんとして源池で営んでいた時の店名。今の店主になってから大吉グループのチェーン店として焼き鳥屋をはじめ、その時は大吉の看板を揚げていたが、大吉グループを抜けて自分の店を持った時は、祖父母の営んでいた「田内屋」と言う店の名前を使うと決めていたそうだ。
「田内屋」の『屋』の字は家の屋台骨を支えていると言う意味から人が支えている形にデザインされている。
かつて日本で製糸業が盛んだった時代、大正15年から昭和39年まで、松本駅から浅間温泉まで路面電車(通称チンチン電車)が走っていた。この旧山辺街道と呼ばれる通りの近くに「清水」駅があり、ここで降りた乗客が仕事帰りに山辺方面に買い物をしながら帰ったことでここは清水銀座商店街と呼ばれ賑わった。昭和30年代までは、この商店街に売っていない物はなかったと言うくらい何でも揃った商店街で「一本道で買い物が全て終わった」と懐かしそうに店主は話す。昭和40年代に入りスーパーの進出やカタクラモールの出店で閉店する店が増えていき、今では数店舗が残るのみ。看板のいたるところに「清水銀座」と刻まれているのは、何らかの形でこの「清水銀座」と言う名前を思い出してもらいたいと言う店主の思いからである。この看板が無ければ今は住宅街にしか見えない。
店主は「自分はこのまちに生まれ。育ててもらったから思い出がたくさんあるんです。店に来るお客さんと昔話をすると懐かしくてね」と清水銀座に対する愛着を語ってくれる。
この田内屋の看板、地域の子どもたちの歴史学習にも一役買っている。中学生の総合学習の時間にまち歩きをすると、当時を全く知らない子どもたちもこの看板を見て「清水銀座って何」と質問してくれるのだ。店主の思いがたくさん詰まった看板は、まちにとっても宝物だ。
昭和に
タイムスリップ
店に入ると、もっとタイムスリップしたかのような昭和で溢れている。懐かしい映画のポスターや、長嶋茂雄の野球ポスター、ボンカレーの広告、ブリキのおもちゃ等で溢れかえっている。店の外にも看板。店の中にも看板なのである。
店の中の看板は昭和という時代を伝えるインテリアとして生きている。ノスタルジックな空間に、春夏秋冬を感じられる飾りがされている。店主によると、この飾りにも意味があり、清水銀座が栄えていたころ、街道に春は桜の飾りが、秋には紅葉が飾られた。それで季節感を感じる事が出来たのでそれを表現しているのだそうだ。いつも来て下さるお客様が雰囲気が変わることで飽きないようにと言う気遣いでもある。
田内屋の暖簾
店の中には2種類の暖簾がかかっている。一つは丸い的に矢が刺さっているもの。的には十字が書かれていてこれが「田」の字の十字を表して田の中に矢が刺さると言う事を表しているのだと言う。
味も価格もお客様の心の的を得ていると言うことを表している。
もう一つの暖簾は田内屋の家紋の梅鉢を表したものである。家の歴史と町の歴史、両方を大切にしている店主の思いが全てに溢れていて、お客さんを温かく包み込む雰囲気をかもし出している。
箸入れなどの小物のデザインも工夫されていて、どれも田内屋のロゴは同じ。メニュー表も定番の物と月ごとの代わる季節メニューと2つあり、月ごとの物は和暦で書くなど工夫され、常連客も飽きさせない。平日でも若い世代から高齢者まで幅広い年代で溢れ、昭和のバックミュージックが流れる中で皆楽しくお酒を酌み交わしおしゃべりに花を咲かせる。
清水銀座と共に
歩んだ歴史
店内には清水銀座の歴史を語る写真も展示してある。当時あったお店の写真だ。開店前に店主が近所を訪ねて探し出した写真で、昭和30年代の懐かしいお店の雰囲気が出ている。左の写真は昔の清水銀座にあったお店の写真「武井商店」。なつかし昭和の一コマを思い出させます。
そして大将と
スタッフの笑顔
夜この前を通ると赤ちょうちんと昔の街道のような裸電球がなんとも懐かしさをかもし出し、ついつい引き寄せられて暖簾をぐっとくぐってしまうのだ。
帰る時には、店主からこの笑顔で「お疲れサンキュー。夢で逢いましょう!」と声をかけられるので、またすぐに来たくなる。お客さんを引き寄せる効果としては店主もこの店の看板なのである。
私の看板物語 松本編
文:降旗都子|清水銀座のお嫁ちゃんより